ある日、東北弁の男性から突然電話がかかってきました。これが鶴岡養護学校との交流の始まりです。電話の主は管野先生。朴訥としてとても熱意に溢れていました。東京に修学旅行に来るのだけれどディズニーランドよりももっと心に残る体験を生徒たちにさせたいとのこと、音楽が盛んな学校だということで、一緒に音楽会ができるところを探していたのです。始めてのことだけれど、とにかくやってみることにしました。これが交流音楽会の始まりです。
また、この年は翌年の5周年に向けての創作を試みた年でもあります。夏休みの演劇ワークショップを大多和勇氏にお願いして、創作ミュージカルへの挑戦が始まりました。
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