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バルト三国レコーディング日誌 ||

2003/01/23 こんにちは。坂元@ビクターです。

      いつも大変お世話になっております。
      …昨年の9月に引き続き、またまた「バルト三国」にやって参りました。
      今春、発売になる「バルト三国の合唱音楽」の録音がその目的です。
      今、滞在しているのは、タリン。エストニアの首都です。
      現在、1月22日(火) 午前9時。
      2日目の朝を迎えたところです。
      そんなこんなで、今回もまた、懲りずに「日誌」を書いてしまいました。
      よかったら、お付き合い下さいませ。。。

      「ティーアさん、待ちぼうけ事件」

      タリンは今回が2回目となりました。
      前回の訪問は、一昨年の1月、ほとんど同時期でした。
      ですから、この街には「寒い!」というイメージしか湧かないのですが、
      ガイドブックなんかに載っている写真は、
      爽やかな夏のものが多く、
      旧市街の市庁舎の前で、市場が開かれ、人々がフルーツを頬張るものばかり…。
      いったい、そんな風景がどこにあるんじゃい!
      と、ついつい思ってしまうほどの寒さと「別世界」です。
      実は、今回もご同行いただいている松原千振先生からも
      「今年の冬は寒いぞ!」
      と、どこかの電気メーカーのCFのようなメッセージをもらっていましたし、
      新聞にも「ロシアの欧州部 大寒波襲来」なんて書かれていましたので、
      こりゃ、心して行かねばと、決死の覚悟で望んで来たのでした。
      ところが、なんと!
      意外と暖かく、日中は、ギリギリですが、
      0度と氷点下のあたりの鬩ぎあいを繰り広げています。
      これなら、南国育ちのぼくでも何とか転びながらも、歩ける状態です。
      とにかく、よかったよかった。

      昨日の朝のことです。
      初日のレコーディングは、夕方から…と聞いていたぼくは、
      我らがスーパーエンジニア、HIDEと朝食をすませ、
      部屋でメールのチェックなんかをしていました。
      メールには、先日、パラオに行った同僚から「イルカ」と戯れる写真が
      「この楽園を見よ!」とばかりに送られてきていました。クーッ!!
      その時、部屋の電話がけたたましくなり、受話器を取ると聞きなれた声が…。
      「ヘイ、ユージ、私、ティーア。
      (※ティーアさんは、今回、録音する「エレルヘイン」の指揮者)
      今、チフルを迎えに港まで来てんだけど、いないのよ。
       一体どーなってんのよ!」
      「イッ?」とぼく。
      実は、松原先生とは今回別ルートでぼくたちは来たので、
      20日の朝、成田で打ち合わせをした時に、
      「21日の朝、ホテルで」を合言葉に、
      松原先生の詳しい到着経路を聞く間もなく、ゲートでサヨナラをしたのでした。
      「そりゃ、困りましたね」とぼく。
      「まあ、いいわ、今からホテルに行くから、待っててね」とティーアさん。
      「それから、ユージ、今日の録音、2時30分からやるからね」
      「ウッ、ウソ…」
      空しくも電話は、切られていました。。。
      そりゃ大変とHIDEに電話で連絡をしたり、準備をはじめた時、
      ドアをノックする音が…。
      「あい!」
      「松原です」
      「えっ、いつどこから来たんすか?」
      「ヒコーキで」
      「ティーアさんから電話あったんすよ、港から」
      「ありゃ」
      事情を聞くと、実は、今朝になって松原先生が滞在していた
      ヘルシンキからタリンへのフェリーが欠航になり、
      急遽、航空便に変更されたとのことでした。
      そして、事前にティーアさんに「フェリーで到着しますので」とメモを
      残したため、ティーアさん待ちぼうけ事件≠ェ発生してしまったということです。
      そりゃ大変と、ふたりでロビーに行くと、すでにもうひとつの録音をお願いする
      混声合唱団の指揮者・ラウルさんが到着されるところでした。
      挨拶などをしていると、間もなく、ティーアさんが登場!!
      「ちょっと、アンタたちたら、まったく、もう」
      「えっ、ウッ、でも、その」
      「チフルは待っていても来ないし、
      それから、ユージ、アンタたちは、一体いつ来たのよ」
      「夜の11時ころに…、えっと…」
      「あたしゃ、昨日、ずっと、ホテルに電話してたのよ。そうね、千回はしたわよ」   
      (そりゃ、なんぼなんでもオーバーな…)
      「ス、スミマヘン…」
      そして…、
      一通り、お説教を伺った後、ムチャクチャかわいい笑顔に戻ったティーアさんと
      ぼくたちは、熱い再会の抱擁をし、録音の成功への硬い契りを交わしたのでした。
      あー、何はともあれ、よかった。
      
      さあ、いよいよ録音が開始されます。
      会場は、前回も使わせていただいた「国営放送局」の第一スタジオです。
      今回の「目玉」は、HIDEが特注で作って来てくれた
      「オリジナル・コンソール」が初登場することです。
      乞う、ご期待です!!

      …そんなこんなで、例によって波乱含みのスタートとなりましたが(笑)、
      また、この珍道中をレポートさせていただきます。


01/23 「カレント スーパーMIX と ふたりの日本人の若者」

      録音は2日目のプログラムが終了し、3日目の朝を迎えました。
      波乱含みの初日は、午後2時30分から、
      当地の混声合唱団「NOORUS」というグループの録音ではじまりました。
      今回は、この「NOORUS」と、先に待ちぼうけ事件≠ナ
      ご紹介したティーア先生の「エレルヘイン少女合唱団」が
      ぼくたちのプロジェクトに参加して下さっています。
      「NOORUS」とは、日本語で若い≠ニいう意味らしく、
      メンバーの平均年齢も20代前半と本当に若く、
      そこから生まれてくるサウンドもとても瑞々しいものです。団員は約30人。
      昨年、ウィーンで開かれた「シューベルト国際合唱コンクール」で
      見事2位≠獲得されました。
      基本的には、それぞれ他に「本職」を持った方たちの集団とのことですが、
      さすが、当地を代表する合唱団だけはあり、
      ジーンと痺れるサウンドを作ってきてくれました。
      (事前に録音のために「合宿」もやって下さったとのこと、謝謝!!)
      指揮者のラウル先生も、合唱団のメンバーも、
      こんなに根をつめて録音することは初めてらしいのですが、
      何度も何度も納得するまで、トライアルを続けて下さっています。
      スタジオでは、演奏の問題だけではなく、
      「ペーパー・ノイズ(楽譜をめくる音)」や
      「演奏ノイズ(床が軋む音など)」が
      多く発生し、その度にリ・テイクをとるのですが、
      皆さん、とても気持ちよく、演奏を続けてくれています。
      本当に申し訳なくもあり、感激の連続です。。。

      …ところで、昨日はこの地のスタジオで、
      ふたりの日本人の若者に会いました。
      ひとりは、実は、この合唱団のメンバーであり、
      エストニアの音楽アカデミーで合唱指揮の研鑚を続けている、倉橋亮介さん。
      もうひとりは、昨日、突然スタジオに姿を現した、若き作曲家・西村英将さん。
      思いがけず、スタジオに「日本語の華」が咲きました(笑)。
      倉橋さんの場合、島根大学の特設音楽科を卒業された後、
      「合唱指揮者」を目指して、当地に留学をされているとのこと。
      今、3年目を迎えられているそうです。
      すでに、歌手しては、オペラの合唱のオーディションにも合格し、
      めきめき力をつけている最中のようです。
      彼は、この間も、日本での活動も継続しており、
      「ジャパン・ユース合唱団」「アジア・ユース合唱団」など、
      選抜で構成された合唱団のプロジェクトに参加されています。
      松原先生に伺うと、現在、合唱指揮の勉強をする場合、
      バルト海諸国を含めた北欧の地は、教育システムがとても充実しており、
      世界でもトップクラスにあるとのことなのです。
      ただ残念ながら、現在は、これらの地で学ぶ日本人は極めて少なく、
      倉橋さんの通うアカデミーでも、彼は唯一の日本人です。
      もっとも「合唱指揮科」があるという自体、
      いかに北欧やヨーロッパにおいて「合唱」が
      重要なポジションにあるか…という証しのようなものでもあります。
      そうですね、例えば、国のプロジェクトとして、
      「合唱指揮科」のある教育機関にひとりずつでも派遣して、
      テクニックはもちろん、各国の教育システムや
      レパートリー、あるいは音楽にまつわる国家の文化政策などを
      学ぶ場が提供されるなんてことは無理なんでしょうかね。。。
      そうなると随分、もっといろんなことが開けてきて、
      より一層ぼくたちの住む「日本」というものをいろんな角度から
      知ることができるようになると思ったりするのですけど。。。
      …さて、もうひとりの日本人青年は、
      現在、日本大学の芸術学部に籍を置く、西村英将さんです。
      彼は、作曲を学んでいる学生なのですが、
      合唱にもどっぷりはまり込んだ生活をしているらしく、
      今回は、世界中の若者がオーディションによって選抜された
      「ワールド・ユース合唱団」のミーティングのために
      渡欧し、約一ヶ月にわたって、ヨーロッパ各地を放浪しているとのことでした。
      なんでも、昨日が帰国前日とのことで、
      夕方、タリン→ヘルシンキのフェリーに乗るために、
      午後5時頃にスタジオを後にしました。
      尚、西村さんは、帰国のその足で、そのまま大学に向かうらしいのです。
      聞くところによれば、24日に彼の作品の「試演会」が大学で行われる
      らしく、それにどうしても出席しなくてはならないらしいのです。
      無事に帰るんだよ!!
      ちなみに、西村さんも、卒業後は北欧に留学を希望されています。
      いや、それにしても、こんな熱い若者を見て、
      かなり「おじさんズ」になったぼくは、大きな刺激を受けてしまいました。
      きっと、彼らが、10年後には
      世界中を飛び回り、いろんなニュースを届けてくれることでしょうね。

      ところで、我らがHIDEが持参した、新しいコンソール、
      実にすばらしいサウンドを作り上げてくれています。
      その名は「カレント スーパーMIX」。
      「カレント」という会社がHIDEの要望にあわせて制作したものらしいのです。
      他のジャンルはまだトライしていませんので、わかりませんが、
      この二日間の感触で言うと、「合唱団のキャラクター」をより鮮明に引きだし、
      かつ、極めて音楽的なアンサンブルの妙を抽出する…
      とでもいっていいのですかね。。。
      あー、あまりにも抽象的ですね。
      それでは、今夜、HIDEさん自身にインタビューをして、
      明日の「日誌」でお届けすることにしますね。
      どうぞご期待下さい!

      2日目の昨日は、
      午前10時から「エレルヘイン」
      午後2時30分から「ヌールス」
      そして、午後9時からは男声合唱団(あ、名前を書いたメモを忘れてきた!)の
      録音が続き、久しぶりに12時間のスタジオ・ワークとなりました。
      いよいよ、今日と明日が、この地での佳境!
      そろそろ出発です。では、行ってきます。。。


01/24 「エレルヘイン!!」

      日頃、東京にいる時、
      大抵朝4時から5時の間に起きる習慣が身についています。
      …なんか変ですよね。
      で、そんなわけで、ここタリンでは少し違った生活パターンを
      期待して乗り込んだわけなんですが、
      何故かその習慣だけは抜けきれず、
      「時差ボケ」もなんその、いつも通りに「早朝活動」に従事しています。
      午前5時、起床。 起床後、すぐにメールチェック。
      午前7時、朝食。 持参の「味噌汁」と「青汁」と「羊羹」をレストランで
      「薬」と偽り、食す。
      午前7時30分〜 「日誌」タイム。HIDEが「今日の内容」を気にする。
      午前9時30分ホテルを出発!
      朝は、こんな生活を繰り返しています。

      ホテルからスタジオまでは、歩いて約10分。
      実は、午前9時30分頃は、
      まだ、街全体が「うす暗い」状態で、
      今から仕事に行くのか、仕事から帰る途中なのか
      時々わからなくなることがあります。
      もちろん、仕事が終る午後10時頃は、
      正々堂々とした「夜」なので結局、
      ぼくたちはずっと夜を過ごしている感じです。
      それにしても、雲が垂れ込めるというのは、
      こんな様子をいうんですね。
      いや、見事に、全編「雲だらけ」の
      360度パノラマ<a[ドです。
      松原先生いわく、「時々は晴れることもあるよ。
      でもね、その時の寒さったらないよ。体験してみる?」
      もちろん、南国でノホホンと育ったぼくは、
      すぐに首を横に振ったのでした。
      今、ほとんど街中が雪と氷に閉ざされている…っていう感じなんですが、
      そんな街の様子を見ながら、HIDEがポツリと言いました。
      「この街に住んでいると、きっと人って内向性を帯びて、
      いろんなことを考えるんだろうね。
      この国のいろんな芸術もそこに関係あるよね、きっと」
      …ふむ。 慧眼なり。
      HIDEは哲学者でもありました。

      なんだかんだ、言いながらスタジオに着くと、そこはもう別世界。
      ぼくたちの到着より早く、「エレルヘイン少女合唱団」の皆さんが、
      美しい歌声の華を咲かせてくれています。
      もう、こうなるとさっきの「暗い」とか「寒い」とか「内向性」は、
      どこかに吹っ飛んで、ぼくは(HIDE君は知りませんが…)、
      すっかりオジサンモードに戻り、
      ウキウキ、わくわく、ドキドキしてしまうのです。
      ところで、ぼくたちが今回、仕事をさせていただいているのは、
      「エストニア国営ラジオ局」のスタジオです。
      ここには、アイリさんという、クラシック専門のサウンド・エンジニアさんが
      いらして、ずっとぼくたちの仕事に付き合って下さっています。
      彼女は、ここの国営放送のスタジオだけではなく、
      市内のコンサートホールにある放送局のスタジオでも
      仕事をしていらっしゃいます。
      実は、2年前も随分とお世話になり、
      今回は、嬉しい再会でもありました。
      アイリさんは、ぼくたちの作業にいろんな心配りをして下さり、
      特に「飲み水」が水道からとれない当地ということがあり、
      常にスタジオ内の「水」を補給したり、
      コピーをとって下さったり、音楽的なアドバイスを下さったり、
      通訳をしたり(英語⇔エストニア語)と、
      実に、精力的に動いて下さっています。
      こんな皆さんのお力で、ぼくたちのプロジェクトは進むことができるんですね。
      感謝感激です。

      さて、エレルヘインです。
      もしかしたら、皆さんの中にも既に彼女たちの演奏を聞かれた方も
      いらっしゃるかもしれません。
      というのも、約3年前、彼女たちは「民音」さんの招聘で
      日本縦断ツアーを行い、各地で、大反響を呼び起こしたことがあるのです。
      お話によれば、「エレルヘイン」には、現在、小学生から高校生まで
      約300名の登録メンバーがいて、
      いろんな編成に応じて、ステージを作っていくそうです。
      それにしてもすごい数ですよね。
      だって、タリンの人口は、約40万人なんですから…。
      ぼくたちの録音に参加してくれているのは、
      その最年長の「中・高校生チーム」のみなさん。
      きっと、子供の頃から「同じ釜の飯」を食べた仲なんでしょうね。
      そのチームワークの良さは、本当にピカイチです。
      リハーサルをしているスタジオ内で、
      彼女たちの歌声の中に、身をゆだねてみると、
      なんというか、本当に暖かい空気の流れを感じるのです。
      しかも、ひとりひとりが、しっかりと歌い、
      且つまた、グループとしてのアンサンブルも形成している…。
      やはり、まぎれもなく世界を代表する合唱団です。
      松原先生に伺った話ですが、
      このメンバーの多くは子供の頃から「音楽教育」を受けており、
      「エレルヘイン」の卒団生の中には、
      バイロイトやウィーン、ストックホルムのオペラで活躍している
      歌手も数多くいるそうです。なるほど、です。
      そして、忘れてならないのが、この合唱団をグイグイ引っ張っていく、
      ティーア先生!いやはや、元気元気。
      はっきり言って、合唱団が歌っている時間よりも、
      先生が、しゃべったり、怒ったり、笑ったりしている時間の方が長い!
      あんまり長いので、
      ぼくたちも「副調整室」で、談笑していると今度は、
      「ほら、やるわよ! アンタたち、なにしゃべってんの!」
      ユニークでしょ。

      今回、エレルヘインは、いろんなスタイルの作品を用意して来てくれました。
      でも、ぼくとしてはやはり「民謡」をアレンジしたものに強く惹かれます。
      どうしてなんでしょうね。
      スタジオで聞きながら、何度も、胸がつまりそうになりました。
      この国が旧ソ連から独立する際、
      みんなが、歌を歌いながら「革命」を推進したといわれています。
      そんな背景があるからか、どうかわかりませんが、
      「民謡」には、なにかこの国の人たちにとって「音楽」がいかに大切な
      ものであるのか…それを痛感せざるを得ません。
      是非、早く、皆さんにも聞いていただけたら…そう思います。
      今日は、エストニアの録音の最終日です。
      はじまった頃は、長いなぁ〜と思っていましたが、
      没頭していると、ホントに、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
      今日もエストニアの美しい作品に触れてこようと思っています。
      あっ、もうそろそろスタジオには、
      乙女たちが集まりはじめている時間です!!
      では、行ってきます!


01/25 「録音終了!アイタ(ありがとう) ヌールス&エレルヘイン!!」
      5日目の朝です。
      実は、昨日、晴れたんですよ!
      やっぱり、晴れると一応は、明るいんですね(笑)。
      雪と氷が、朝日にキラキラ輝いて、突然、中世の街並みが眼前に現れました。
      「今日は、もう少し街を歩きたいなぁ…」
      なんて、思いながら歩いていると、おやおやもうスタジオです。
      こんな時、「住」と「勤」が近すぎるとというのも問題ですね。。。

      今回の「バルト三国の合唱音楽」という企画は、
      一昨年、小学生のための「合唱曲全集」のために
      このタリンで「エレルヘイン」の録音をさせていただいた時から
      暖めていたものでした。
      合唱の世界でも、「西ヨーロッパ」の国々以外の作品が盛んに取り上げられる
      ようになって久しいのですが、なかなかそのソフト自体は、数が限られていました。
      現在では、合唱音楽だけにフォーカスをした「専門店」がありますので、
      いろんな国々の「輸入盤」や「ライセンスもの」はある程度入手が可能な状態です。
      ただ、この「バルト三国」については、
      日本国内企画としてまだ「選集化」したものがなく、
      一昨年の録音で、その素晴らしい音楽と歌声に魅了されたぼくは、
      是非ともこの企画を立ち上げたいと願っていました。
      幸いに、前回録音したものは「全集もの」という、
      手軽に入手できるタイプのものでなかったのにも拘わらず
      「エレルヘインの演奏が入っているのなら是非!」
      「去年のコンサートの興奮がまだ残っているので」
      と、多くの方が、購入して下さったのです。
      …という背景もあり、前回のソフト発売と同時に、企画を立ち上げ、
      松原先生に合唱団との折衝にあたっていただき、
      今回の録音に相成ったわけなのです。

      「三国」をまわっていると、いろいろなことを知ることができました。
      例えば、合唱のソフトについていえば、リトアニアもラトヴィアも、
      CDショップはもちろんのこと、「土産店」や「書店」、
      はたまた空港の「売店」にまで、合唱のCDが置いてあります。
      もちろん、そのほとんどは「民謡」の括りで
      販売していることが多いので、
      一概に「合唱の」と形容することには無理があるのですが、
      それは差し引いても、コーラスという形態が、
      いかに愛され、国民的な支持を得ているのか、
      その一旦を垣間見ることができるような気がします。
      それから、それとは対照的に、
      リトアニアまた、ここエストニアで知ったことですが、
      そんな「合唱王国」の国々でも、
      なかなか合唱作品を録音する機会は極めて少ない、とのことです。
      「国営ラジオ」のアイリ(日本名:愛梨≠ノ勝手に決定!)さんによれば、
      「今回録音しているCDが完成したら、是非、送って下さい。
      というのも、今回の選曲は、とても重要なものなんですが、
      残念ながら、私たちの局には、この曲の入っている資料がないのです」…とのこと。
      へぇ、そーなんですね。
      ちなみに今回録音している曲の多くは、「民謡」をベースした編曲ものや、
      いわゆる「国民楽派」と呼ばれる作曲家たちの作品なのです。
      つまり、ある面、「国」というものが、
      音になって立ち現れてくる…そんな作品群といえるのかも知れません。
      そういえば、松原先生からも、
      「合唱団から、『なかなか演奏するチャンスのない曲だったので、いい経験でした』
      という言葉を頂いたよ」と言われましたっけ。。。
      たしかに、彼らは、日常たくさんのコンサートや録音追いかけられて
      いますし、特に「現代音楽」にもチャレンジしていますから、
      スケジュール的にも無理なんでしょうね。
      でも、ファーイーストから、出かけてきて、
      少しでもそんなお役に立てたことを嬉しく思った次第です。
      (ひとこと追加すると、前回、ラトヴィアからレポートさせていただいた様に、
      ラトヴィアでは現在、ぼくたちが一緒に仕事をしている「アヴェ・ソール」が
      中心になって、「ラトヴィアの合唱曲全集」を制作している最中ですので、
      少し事情が異なっているのだと思います。。。)

      ところで、ところで、例のHIDEの「ニューコンソール」、
      実に優れものでした。
      通常、録音で使うコンソール(調整ミキサー)というと、
      なにやら、ごっついものを想像されると思いますが、
      この「カレント スーパー Mix」はなんと、
      横44cm×縦20cm×高さ4.5cmという「超小型」です。
      で、これを制作した意図をHIDEに聞くと…、
      「とにかくいい音を手軽に、つまりmobileという意味でね、
      録りたいと思ったのね。
      で、しかも次世代のメディア、DVDやSRCDにも充分対応できてね。
      Simple is best.
      良いものはより良く…って感じかな?
       えっ、あんまり良くないもの?フフフ、どうかな??」
      ノということらしいですよ。
      とにもかくにも、痺れる音、演奏を録音することができました。

      さて、昨日で、エストニアのプログラムは終了しました。
      「ノールス」の皆さん、
      「エレルヘイン」の皆さん、
      そして、奮闘してくださったティーア先生、
      結構ヒョウキンものということが判明したラウル先生、
      本当にお世話になりました。
      そうそう、昨日の夜、そのラウル先生からプレゼントを
      いただいたのですが、ひとつは合唱団のCD、
      そしてもうひとつが、「エストニアの国民的行事」である       
      「ソング・フェスティバル」の歴史が書かれた大変立派な本です。
      実は、ラウル先生は「出版社」も経営していて、
      その会社から去年、出版したそうです。
      重さ、なんと約2.5キロの巨大な本です。
      もし、ご覧になりたい方がいらしたら、是非、ご一報下さいませ!
      大切に持って帰ります。

      そんなこんなで、昨日は、久しぶりに夜、
      ゆったりとした気分で過ごしました。
      今日は、やっと初めて、街の中を歩けそうです!
      タリン滞在、通算10日目にしての願い達成です。
      それでは、皆さんも、いい週末をお過ごし下さいませ!!


01/27 「さようなら!タリン」
      タリンの街は、それ自体が「ミュージアム」の様な美しい街でした。
      …タリンはバルト海に面した港町で、
       対岸のヘルシンキまでは、船でも気軽に行き来することもできます。
      なにせ、わずか90km弱しかないのですから…。
       タリンの歴史は11世紀くらいまで辿れるらしいのですが、
      13世紀にデンマーク人がこの地を支配下に置いた後は、
      実にさまざまな国がタリンの街に姿を現すことになります。
      特に、13世紀なかばにドイツの「ハンザ同盟」に加盟してからは、
      地理的な特性もあり、ロシアをはじめとする周辺諸国の
      パイプ役として大きな役割を果たすことになりました。
      なるほど、なので、
      タリンの街にはどことなく「ドイツ的」な風情が残っているわけですね。
      さらに、16世紀以降はスウェーデン、ロシアとその支配者を変えながら、
      この街は、中世の赴きを残したまま、時代を経ることになります。
      そして、1991年…。
      ようやくこの国は旧ソ連からの独立を果たし、
      新しい国家建設へと向かいはじめました。

      先日、ご紹介した倉橋さんのお話では、
      現在、エストニア共和国に住んでいる日本人は約15人。
      そのうち「大使館」に勤務されている方を除くと、
      ほとんどが留学生や教師をされている方のようです。
      そういえば、この間、
      街中で、ついぞ一人として日本人に会うことはありませんでした。
      そんな中、昨日は、
      倉橋さんの友人のお一人である「まさきあきこさん」
      という方とお会いしました。
      (ごめんなさい!漢字の表記をお伺いするのを失念しました!)
      まさきさんは、当地の「人文大学」で日本語教育の先生をされています。
      現在、3年目。
      あと、最低でも3年間はこちらでお勤めになるとのことです。
      まさきさんは、在京の大学を卒業後、タリンに生活の地を求められました。
      お話を伺うところによると、日本にいらっしゃる時から、
      エストニア人の友人に恵まれ、そのご縁もあっての「決断」だったそうです。
      でも、本当にすごいことですよね。
      小心者のぼくなんかには、とてもできないチャレンジです。。。
      現在では大学で「日本語上級」の講座を持っておられ、
      まさきさんのご努力もあって、今、日本の大学との「交換留学制度」も進み、
      日本の大学へも、エストニアからの留学生を送り出すことになったとのことです。
      日本からの留学生たちの支えとなり、
      エストニアの学生たちにとっての「はじめての日本体験」の具現者となり…。
      これからも多くの人たちが、まさきさんや倉橋さんという「文化の中継者」を
      通して、深い交流を続けていくことになるのでしょうね。
      そう思うと、なんだか、ぼくもファイトがわいて来るような気がします。
      是非、皆さんもエストニアについて情報など、
      おふたりと交わしていただければ…そう思います。

      昨日は、最初で最後のタリンでの「フリーの夜」でした。
      「何しょうかな…」と思いつつ、パラパラと「ガイドブック」をめくっていると、
      エンタテインメントの欄に、
      「ザ・リアルグループ コンサート!」とあるではないですか!!
      「ザ・リアルグループ」は、スウェーデンが誇る
      ア・カペラのヴォーカル・アンサンブル・グループで
      男女5名から構成されています。
      全員がクラシックの教育を受け、
      レパートリーもクラシックからジャズ、ポップスまで
      ありとあらゆるジャンルで超人的なハーモニーを
      聞かせてくれるグループなのです。
      実は、このグループ、ぼくがどうしても聞きたかったNO.1の
      グループでもあったのですが、
      日本ではまだ「未体験」のまま、時間が過ぎて行きました。
      (もう、来日したのでしょうか?)
      彼らは、PAを使ったスタイルをとっていますので、
      古くから活動している「スウィグル・シンガーズ」と
      同じパフォーマンス形態で歌っています。
      今回のプログラムは、ジャズやポップスナンバーが中心に組まれ、
      会場は、一曲ごとに大きな歓声につつまれていました。

      …昨夜の会場は、「コンサートホール」と呼ばれる
      約1,000人収容するホール。開演は午後8時。
      その時間が近づくと、ドレスアップした紳士・淑女たちが
      おもむろにコンサート会場に入っていきます。
      挨拶を交わしたり、ワインを手にしたり、CDを眺めたり…。
      日本と同じ風景ではありますが、
      なんとなくのんびり、ゆったり。
      「おらが街のコンサートホール」…そんな市民の深い愛着が
      どことなく感じられて、とてもいい感じです。
      倉橋さんに伺うと、
      タリンには、このホール以外にも、3,000人を収容する
      大講堂みたいな建物もあるらしいのですが、
      主には、この「コンサートホール」やいくつかの「教会」が
      音楽会などで使われるとのこと。
      (ちなみにオペラは、隣接の「オペラハウス」で行われます)
      …いやはや、それにしても昨日は、ちょっと興奮しました。
      今、日本でも「ハネモプ」が大人気で、
      高校生たちも、「リアル・グループ」のようなクロスハーモニーを
      楽しんでいますが、
      是非、彼らにも、生で聞いてもらえるチャンスが来ればいいなぁ…
      そう思いながら、会場を後にしました。

      さあ、今日はいよいよ次の訪問先、リーガに向かいます。
      今回は、約5時間のバスの旅です。
      読みたい本もたまっているので、ちょっと嬉しい時間です。
      その前に、荷造り荷造り!!
      では、また。
      次回はリーガからリポートいたします。


01/27 「リーガ再訪」

      月曜日の朝を迎えました。
      皆さま、週末は、どのようにお過ごしでしたか?
      ぼくらの昨日は「移動DAY」、
      タリンからリーガまでのバスの旅でした。
      タリン→リーガはおよそ直線距離で300キロほど、
      時間は約5時間を要します。
      途中、休憩が2回、
      それから「国境」を越える際に「パスコントロール」が
      ありますので、わりあい、のんびりとした旅です。

      昨日、朝、あのティーア先生がホテルまで来てくださいました。
      寒風が吹き荒れる中、申し訳ない思いで一杯でした。
      バスターミナルまで、車で送って下さった折、
      車内で「エレルヘイン」が3年前に行なった「日本ツアー」の話で
      盛り上がりました。
      実は「エレルヘイン」が、
      ぼくの故郷・鹿児島でコンサートを開いてくれたのですが、
      その折、共演した鹿児島市立の児童合唱団の指揮者がぼくの
      中学時代の先生だったのです。
      この先生のせいでというか、お陰でというか、
      ぼくは青春を「コーラス」に賭けるハメになってしまったのですが、
      いやいや、おっかない先生でした。
      いえいえ、「おっかない」からティーアさんを見て、
      ぼくの先生を思い出したわけではありませんよ(笑)。
      …そんなことも、あり「エレルヘイン」には、
      さらに親近感を感じてしまうぼくなのです。
      「暑かったでしょう?」とぼく。
      「日本の夏はどこも暑かったわよ!」とティーアさん。
      …ちなみに、タリンでは夏でさえ夜は「羽織るもの」が一枚は必要。
      もちろん、クーラーはありません。
      「ところで、桜島の噴火見ました?」
      「あー、あの大きな山ね。ううん見てないわ」
      「そりゃ、残念でしたね」
      「何言ってんのよ、爆発したら大変じゃないの!!」
      …逆に、ティーアさんが爆発しました。
      そんな話の間に、バスターミナル到着!
      お別れの挨拶もそこそこにぼくたちはバスに乗り込み、
      リーガへと向かいました。
      「また必ず来ますね!」と言った時、
      クシャクシャとなったティーアさんの笑顔を忘れることができません。
      ティーアさん!
      本当に素敵な時間をありがとうございました!!

      バスに乗り込んで、ビックリしました。
      なんと、そこはロシアでした!
      周りから聞こえてくる会話にも「ロシア語」が、
      はたまた車内で放送される「ビデオ映画」もロシア語…。
      急激な「変化」に少し、戸惑ってしまいました。
      ところで、ぼくはこの5時間で本を読もう!と、
      楽しみに乗り込んだのですが、
      車内が突如「映画館」となり、頭上のスピーカーからは
      大音量で「映画」の音がガンガン鳴り響き、
      読書はもちろん、睡眠すらとれませんでした。
      可哀相だったのはHIDE。
      彼のまさにその頭上にスピーカーが設置され、
      約5時間、彼は音のシャワーを浴びることになったのです。
      やはり、HIDEはどこに行っても「音」から離れられないようですね。
      そう、その「ロシア」です。
      そういえば、ぼくらはこのタリン滞在中、
      ずっとエストニア人と仕事をしてきたんだ!
      …急にそんなことを感じ始めました。
      タリンの人口が約40万人ということは、
      前の「日誌」にも書きましたが、
      エストニア人はその約半数に過ぎません。
      つまりは、
      残りの半数は、多民族が「共生」しているわけなんですね。
      でも、実際、生活していく上では、
      かなりその「共生」とはほど遠い部分がまだ残されているようです。
      というのも、例えば合唱団ひとつとっても、
      「エストニア人」と「ロシア人」が一緒に歌うことは、
      現在でも、まだ難しいと伺いました。
      実際ぼくたちが仕事をした合唱団も、
      基本的には「エストニア人」で構成されています。
      また、就職や就学の面でも、
      「エストニア人」以外の民族にとっても厳しいものがあるらしく、
      バルト三国の他のふたつの国同様、
      特にロシア人の多くが、厳しい生活を続けているとのことです…。
      いろいろ、考えること、多いです。

      前回は、ヴィリニュス→リーガをバスで移動しました。
      あの時は「内陸部」を通過したせいか、
      平坦な一本道のような感じでしたが、
      今回は、海岸線を通過する場面もありました。
      時折、リーガ湾が姿を現すのですが、
      とにかく吃驚!!
      湾が凍っているのです。
      これでは、松原先生も「ヒコーキ」になったわけですね。。。
      これも「南国育ち」にとっては初体験。
      世界はまだまだ、未知です。


01/28 「えっ、日本にはラトヴィア大使館がないの?」
      …今日も、暗い雲が垂れ込めています。
      「バルト三国」への旅は、これで3回目。
      そのうち、2回が冬のシーズンでした。
      南国育ちのぼくとっては、とにかく寒さは大敵。
      ほんと、弱いんです。
      でも、こちらに来てとにかく驚くのが、
      室内の暖房のナチュナルさ=B
      あの「暖房」特有のムッとした感じも全くなく、
      ぼくでも、Tシャツ一枚で過ごせます。
      それから、どこのホテルでもお世話になった
      洗面所にある「熱パイプ」。
      はじめは何のためにあるのか分からなかったのですが、
      松原先生から、「洗濯物を干すんだよ」と教えていただき、納得をした次第です。
      これなら最小限度の「着替え」さえ持参すれば、
      毎日ジャブジャブすればいいんですよね。
      もっとも、問題は、洗濯をする気力が残っているか否か…
      ですれどね(笑)。
      寒さゆえの「必要は発明の母」…、実感しています。

      助かっているといえば、食事もそうです。
      北欧やバルト海諸国の朝食には、必ずといっていいほど、
      大量の「ナチュラルヨーグルト」と「オートーミール」が並びます。
      出張すると、得てして「体調不良」に悩まされるぼく。
      結構、繊細なんですよ、これでも(笑)。
      まあ、そのほとんどの原因が「食事」にあると思うのですが、
      そんな「身体に優しいメニュー」がある当地は、
      ぼくにとって、なかなか有難いところであります。
      ところで「オートミール」を食べている自分を客観的に
      見ると、なんだか不思議な感じがします。
      もしかすると、ついこの間まで、我が家に、
      同じようなものを食べていたチビがいるからでしょうか?

      昨日は、ほとんどをホテルで過ごしました。
      いろいろ仕事や打ち合わせをメールでやり取りしていたのですが、
      突如、パソコンがダウンをし始めました。
      実は、今回は「接続」の状況もあまりよくなく、
      メールの送信も5回に1回くらいしか成功しません。
      そんなこともあり、部屋の中でイライラ、ヤキモキ。
      やっと、正常に作動するころには、日がどっぷり暮れていました。
      …ようやく、午後5時前に外出。
      例によって日本大使館を訪問し、
      そこにお勤めの黒沢歩さんと合流し、夕食へと向かいました。

      リーガの街は、これで2回目。
      去年の秋以来ですので、なんだか淡いなつかしさが漂います。
      つい昨日までいたタリンと比べてみても、
      この街の大きさは、比べものにならないくらいの規模があります。
      「街がそのままミュージアム」だったタリン…。
      このリーガでは、古さの中に常に新しい息吹が吹き込まれ、
      街が日々「変容」していくようです。
      「ここに住んでる私たちにも、ついていけないくらい、
       街が毎日のように変化しているんですよ」と黒沢さん。
      それにしても、古い建築を見事に生かし、
      その中に最先端のショップやオフィスを構築するこの国の人たちの
      感性には、驚くべきセンスが潜んでいるように思われます。
      「世界遺産」の街、リーガ。
      おそらくこれからも世界の扉に向かって、進み続けるのでしょうね。

      ところで、黒沢さんは、先ほどもご紹介しました通り、
      現在、在ラトヴィアの日本大使館に勤務されている方です。
      留学は最初、ロシアのプーシキン大学にされたということですので、
      ラトヴィア語はもちろん、ロシア語にも堪能でいらっしゃいます。
      昨日、お話を伺って、びっくりしたのですが、
      その「ロシア留学」はなんとあの「ソ連崩壊」の直後だったとか!
      「こわくなかったんですか?」と、松原先生。
      「いえ、そんなでも」
      「ご両親は?」と、HIDE。
      「母が一年後くらいに、日本酒を下げてやってきました」
      これには、一同、大爆笑でしたが、
      それにしても、驚きでぼくは、固まってしまいました。
      昨夜は、黒沢さんに、ラトヴィアで初めて出来た歴史的な
      「パブ&レストラン」に連れて行っていただきました。
      なんでも、この店は1Fと2Fに分かれているのですが、
      出してくれる食べ物は、同じなのに、なぜか2Fの方が
      高いとのこと。
      それって「何料」なんでしょうね??

      いろいろな話の中で、
      昨日、驚いたことがあります。
      それは、現在、日本に「ラトヴィア大使館」がないということ。
      「リトアニア」も「エストニア」もしっかりと、あるんだそうです。
      「えっ、うそでしょ?」
      「だって、一番大きな国なのにぃ〜!!」
      と、ぼくが叫んだところで、
      どうなるものでもないことはわかっているのですが、
      ちょっとショックでした。
      まぁ、ある国が日本に大使館を設けるかどうかは、
      その国が決めることではあるのですが…。
      日本って、そんなに魅力がないのかしら?
      つい先だっては、国際交流基金のサポートで
      「能」の団体が、バルト三国を旅されたとのこと。
      また、年々、この国を訪れる合唱団なども増えてきています。
      「文化」の交流が進みつつある今、
      少しでも早く日本での「ラトヴィアへの扉」が開かれるといいなと思います。
      黒沢さん、お仕事がますます重要になってきますね!

      昨夜、帰り道に、昨年も何度か見上げた「大聖堂」の前を通りました。
      少し靄がかかり、幻想的にライトアップされています。
      「世界遺産」の象徴としてもいえる建物なのでしょうが、
      やはり何度見ても、足をとめ、しばらく無言のまま、立ち尽くしてしまいます。
      「そういえば、去年は、ここで辻音楽師が弾くオンブラマイフ≠聞いたなぁ」
      なんて、ついつい、感傷にふけってしまいました。
      さあ、ついに今日は最終日!
      また、あの「アヴェ・ソール」の素晴らしい歌声を聞くことができます。
      そうそう、弟分の(?)トーン・マイスター、
      ヴァリスとも、再会です。
      おやおや、外は雪が舞ってきました。
      …そろそろ出かけます。


01/30 こんにちは。坂元@東京です。

      「日誌」が最後の最後になって通信事情が悪く、送信できませんでした。
      ですので、東京から送信にて失礼致します。

      「それでも 《音楽は世界を結ぶ》 ということを、信じること」
      一昨日、旧市街近くの公園で、
      たくさんの花が手向けられた石碑を目にし、しばし足をとめました。
      「あの建物、わかりますか?
      あれが旧内務省で、『血の日曜日事件』の時は、
      あの建物をソ連の特殊部隊が占拠し、窓から市民に向かって発砲し続けたのです」
      …黒沢さんが語りはじめました。
      「この石碑は、その時銃弾に倒れた方のものです。
      亡くなられた6人の中にはジャーナリストの方が多く、
      ひとりのジャーナリストは、 銃弾を身体に受けながらも、
      “私は死ぬが、この映像を是非、見て欲しい!”
      と、最後の瞬間までカメラを回し続けました。
       今でも、その日が近づくと、テレビでもその映像を流し続けています」
      1991年1月20日のこと、それから12年の月日が流れました…。

      よくよく考えていると、
      今、一緒に仕事をしている“アヴェ・ソール”の
      メンバーの多くも、この事件の遭遇者なんですね。
      きっと、その多くは、
      まだ小さな子どもだったのだと思います。
      幼い頃に「銃声」を耳にする経験が、
      その後の人生にどのような影響を及ぼすか、
      ぼくには想像もつきませんが、
      少なくとも、この国と地続きのどこかで
      繰り返される市民への無差別な「殺戮」、
      そして今から開始されるであろう「戦い」に対する
      悲しみと怒りは、きっとぼくたちの想像をはるか超えたところに
      存在している…そう感じずにはいられません。
      そして、12年前の冬、
      歌うことで革命を成し遂げた「バルト三国」の人たちの生き様は、
      ぼくたちに、歌が生命と平和を勝ちとるための
      「偉大なる盾」であることを教えてくれるのです。

      …昨日は、お昼前に、ホテルを出発して、
      市内にある「音楽アカデミー」に向かいました。
      実は、今まで、ぼくたちの仕事のコーディネートを
      して下さっていた“アヴェ・ソール”の
      グンタルスさんが仕事の都合でマネージャーを代わるため、
      新しいマネージャーとの引継ぎと打ち合わせを兼ねてでした。
      このアカデミーも古い造りを大切に保存し、
      新しい息吹を吹き込んだ、そんな素敵な建物でした。
      アカデミーの中は、多くの学生でにぎわっていました。
      松原先生いわく、「このアカデミーで行われている教育は、北欧、
      バルト三国の中でも極めてレベルの高いグループに属している」そうです。
      ただ残念ながら、このアカデミーには、
      現在、ひとりも日本からの留学生が学んでいません。
      この「合唱の宝庫」ともいえる国で数年暮らし、
      北欧やヨーロッパ諸国を縦横無尽に歩き、
      そしてたくさんのコンサートを聞き、学んだら
      どんなに豊かな財産になるだろう…心からそう思います。
      エストニアの倉橋さんに続く、
      次世代のコーラスBOYS&GIRLSの皆さんが
      一日も早く出現しますように!!

      アカデミーでひとしきり「打ち合わせ」をした後、
      ぼくたちは「国営ラジオ」に向かいました。
      松原先生が、合唱連盟の会報「ハーモニー」誌に掲載するインタビューをとりに、
      国営ラジオ放送合唱団の指揮者に会いにいかれるとのことでしたので、
      ぼくも「写真班」として同行しました。
      会って下さったのは、
      合唱団の指揮者・クラバさんと、副指揮者のカスパルスさん。
      「10分しか時間が取れないのだけど…」と始まったインタビュー、
      日本やアジアのレパートリーがどんな状況か、
      今、ラトヴィアで行われていること、
      ラジオ合唱団が望んでいること、などなど…
      「約束の10分は大丈夫?」とこちらがヤキモキするほど、
      松原先生とふたりの指揮者は熱く熱く語り続けました。
      終ってみると、40分が経過していました。
      「いやー、いい話がきけたね」と松原先生。
      創造の現場を知り尽くした3名が、
      心置きなく語り合った、とてもいいインタビューでした。
      …記事は、近く「ハーモニー」誌に掲載されると思います。
      乞う、ご期待です!!

      さあ、昨日は、録音最終日。
      いよいよ、“アヴェ・ソール”の登場です。
      午後6時、会場である郊外の「フランチェスカ教会」に到着。
      今回は、教会での「ア・カペラ」を、サラウンド・システムで録音をするため、
      いつもより30分ほど早めの到着となりました。
      すでに、弟分のトーン・マイスター、バリスは到着済み。
      熱い再会の握手をしていると、なんか今までと違うな…
      そう感じました。
      よくよく見てみると、な、なんと「中継車」が新車ピカピカではありませんか!!
      「つい1週間前に来たんだよ。ユージたちがふたりめだよ、使うの」
      そりゃ、有難い!
      とにかくこの新車は、調整室部がとても広く、
      4人が充分に腰掛けられるスペースを持っています。
      バリス、気を使ってくれて有難う!

      午後7時、録音がスタートしました。
      混声が5曲、女声が1曲の予定です。
      今回のプログラムは、待望の「宗教曲」が含まれており、
      ぼくとHIDEの「教会で教会音楽を」の願いが叶いました。
      作品は、いずれも作曲家が健在で、
      比較的最近、作曲されたもので構成されていました。
      前回もそうだったのですが、昨日も、
      音楽が始まると、ぼくたちは陶酔の世界に引き込まれました。
      声と声が自在に絡み、
      ソロが見え隠れし、
      いつしか重厚なハーモニーが生まれる…。
      “人の声こそすべての音楽の源である…。”
      そうしばしばいわれるのですが、
      こういった場に自分自身を置いたときほど、
      そう感じることはありません。
      …「やっぱり、人って、音楽で繋がれるのかも…」
      昨晩は、より一層その想いを強くしたのでした…。

      ファイナルは、女声による「民謡メドレー集」。
      シンプルで愛らしく、
      そしてロマンティクな旋律が次々にあらわれていきました。
      …そして、
      最後の音が、教会の中に吸い込まれた時、
      教会にも、そしてぼくたちのいる「中継車」の中にも、
      大きな安らぎが生まれました。。。。

      録音終了後、
      バリスとHIDEとぼくで、
      ささやかながら、お別れ会をしました。
      バリスは次の日、朝9時から録音だというのに、
      最後までぼくたちにつきあい、ホテルまで送ってくれました。
      もう、午前2時近くでした。
      「一緒に仕事ができて楽しかったよまた、会おうね。
      次は東京かな、パリかな、それともリーガかな?」
      そう笑うと、バリスは夜の帳の中を、
      あっという間に去っていきました。
      「ナイス・ガイ!」心の中でぼくは叫びました…。

      10日にわたる「日誌」をこれで閉じさせていただきます。
      拙い「日誌」にも拘わらず、この間、
      今回もたくさんの方からお励ましのメールを頂戴いたしました。
      この場をかりてお礼申し上げます。
      午後いちばんの便でコペンハーゲンを経由して、東京にもどります。
      木曜日の夕方には、オフィスに戻る予定です。
      どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。
      本当にありがとうございました!

 



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