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今回は、まちの映画館長は病床からの寄稿です。 日頃の不摂生、不謹慎?な生活がたたっての入院中、明日が手術という中でFAXが届きました。遺稿にならないように、などと縁起でもない冗談を言いながら、一日も早いご回復をお祈りいたします。(今は悟りの境地でずいぶんと神妙だけど、きっと切ってしまえば、また元の不健全な生活にもどること間違いなし!) |
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今、小津安二郎と言っても若い人はほとんどわからないだろう。しかし今こそ若い人たちにぜひ観てもらいたい映画「東京物語」を紹介したい。 なぜか? この映画ほど深く家族愛とその別れを描きだした美しい映画は、世界的にもあまりないからだ。英・米・仏では、今年はOZU(小津)生誕100年でDVDが発売され、日本でもNHK BSで、全作品が放映される予定。海外での評価ほど日本では確立していない傾向もあるが、それは逆に彼がいかにグローバル(世界的)に普遍性を持った映画をつくってきたかの証拠と言える。 映画のストーリーはわかりやすい。尾道に住む老夫婦(笠置衆と東山千栄子)が、東京で成功した子供たちを訪ねる。だが案の定、実の子供たちは親によそよそしく、戦死した次男の嫁(原節子)が一番よく親身につきあってくれる。そのあと、突然もっとつらい出来事が起こる。たんたんとした会話。変わらぬ構図。繰り返される美しい日本の風景。その中に小さな事件と大きな事件がからんでくる。家族が本当に愛し合うのはいかに難しいか、そしてそこに永遠の別れがかくされている事をさりげなく教えてくれる。 年をとった私が小津の作品を観ると、いろいろな場面に自分がふと重ね合わされて、身につまされ涙が出てきてしまう。だがそれは若い人が観ても同じだろう。 何年か前にヒットした「Shall we ダンス?」、周坊ナントカという若い人がつくった喜劇映画があったが、彼は自分の仕事は小津監督の作品のコピーだと語っていた。「ベルリン天使の詩」「パリ テキサス」のドイツの監督ヴィムベンダーズは、「この作品と出会わなければ私は映画監督にならなかった」と語っている。この映画の美しさの秘密は、OZUの多くの映画テクニックから生み出される。 ー一定の低い視線の構図 ーくりかえされる景色 ーことばのリズム さらに驚いたことに、この作品の中にはさりげなく美人美女(筆者は女性にしか目がいかないため美男美女ではないらしい?)が次々と出てくる。(香川京子など) 鎌倉円覚寺の小津の墓には、彼が生前より愛した言葉「無」という字が書かれている。どうしてその字を入れたのか、その意味がわかりますか? |
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「永遠の別れ」は「無」につながる、、、無から始まり無に終わる? シープの帝王さま、そりゃあ悟りすぎ! 肉体は滅びても魂は残る。人間のDNAは親から子へしか伝えられないけど、あなたの魂のかけらはたくさんの人の心の中に・・・ なかなか「無」にはなれないと思うんだけど。(人魚姫) |
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この映画は、ドキュメンタリーですが、編集が巧みなので見事なメッセージ映画です。それに、全編にわたって、ユーモアがちりばめられた面白い映画でもあります。よく米国版電波少年映画などと言う人がいますが、この映画のアポなしインタビューの方法だけで見ている狭い見方です。 この映画の出発点は、有名なコロンバイン高校のライフル乱射殺人事件です。この事件で、18才のハイテイーンが どうして銃を簡単に入手できたのか?どうして、こんな大量殺人にかりたてられたか?どうして、アメリカにはこんなに大量の銃殺人事件が毎年発生するのか?実に素朴な、当たり前の疑問を、監督のマイケルムーアは 様々な、映像手段 対話 事件でひとつの解答を組上げていく。この解答が実に今風の時代の世相を表現している。その答えは、ぜひ、映画を見て、みんなで、語り合って欲しい。それは、今の日本にも当てはまっているから、恐ろしい。 なおこの、題名のボーリングとは、この事件後 自殺した高校生が事件の朝にボーリングに行っていた事実からきます。この、ゲームと殺人がその 深いところで結びついているのでは というのも 監督のメッセージのひとつでしょう。 |
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今まで、「シンドラーのリスト」のように ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は、何度も映画化されている。しかし、そのどれも、いかに巧妙に、国家がユダヤ人を、おいつめていったか、ユダヤ人自身が、自分達をも 欺いて、その弾圧を 受け入れていったかの歴史を描いている映画は、皆無でしょう。何故かというと、それは あまりに 自然に行われたことで、すこしも、不自然でなかったからではないだろうか。 ガス室や、収容所は あまりに悲惨で 誰にもわかる不自然なことですから、映画的題材として、適しています。しかし、本当のリアリテイーは、何気なく、差別が 始まり、何気なく、制限が生まれ、何気なく自己規制が生まれる。という 大衆的常識による少数者の抑圧が自然に、また普通に生まれてくるというのが、本当ではないでしょうか? むしろ、同時代の人は差別とすら気が付いていなかったのかもしれない。 この映画はその恐ろしいリアルさを、むしろユーモアを からませながら、描いています。きっと、映画と言う方法で、初めて、それが、正確に描かれたと 思います。主人公のピアニストは、英雄でも、ある意味では、善でもありません。ただただ、腹をへらし生き抜いていくのです。 もちろん 彼の 非凡な音楽の才能が 神の奇跡を起こします。それも、リアリテイーなのです。ショパンの美しい調べが、なにもかものりこえて、人々の心や、映画を見ている観客の心にもしみ込んできます。映画は、そう言う静かな、リアリテイーでいっぱいの映画です。 シンドラーとは、ひと味違う映画ですから、そう思いながら、見に行きましょう。 |
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人気も良くなく、キャッチコピーもさえない映画が、ちょっとした間違いで、飛び込んでみると思いもかけない良い映画と言うことは、たまにある。アメリカンビューティーの主人公でアカデミー賞をとったケビンスペーシーの最新作『光の旅人』である。 まず題名が良くない。何が「光」だよ。しかも、宣伝も良くない。「心優しいエイリアンが心いやす」まるで三文SFオペラみたいな売り込み、誰も見に行きたくなるはずがない。しかし、原題の『K-PAX』のインパクト性でケビンスペーシーのファンであるというだけで映画館に足を運んだのが運の尽き。泣けた。本当に泣けた。この頃の映画はテーマとして「家族」を取り上げて いるものが多い。これもその一つの切り口を示した映画である。 不思議なK-PAX星から来たと名乗るサングラスの男が、出会う人々の心をつかんでいく。興味を持った精神科医が彼が何者であるか追求を開始する、ここからは全くのサスペンス映画なのだ。 彼のK-PAX星は驚くべき世界の反映だった。ここからは書かない。是非、映画館で体験してほしい。彼を追求する精神科医は、彼によって新しい世界へ導かれる。そして観客であるあなた方一人一人も、優しい「青い鳥」に出会うだろう (これは映画のキーワードの一つ)。 |
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