作詞・海野厚 作曲・中山晋平 大正8年(1919年)
柱の傷(きず)は おととしの 五月五日の 背(せい)くらべ ちまきたべたべ 兄さんが 計ってくれた 背(せい)のたけ 昨日くらべりゃ 何(なん)のこと やっと羽織(はおり)の 紐(ひも)のたけ
柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える 遠いお山も 背(せい)くらべ 雲の上まで 顔出して てんでに背伸(せの)びしていても 雪の帽子(ぼうし)を 脱(ぬ)いでさえ 一はやっぱり 富士(ふじ)の山
端午(たんご)の節句(せっく)に背丈(せたけ)をはかってもらう子どもは、作詞(さくし)の海野さんの17歳(さい)離(はな)れた弟さんがモデルで、大学の休みに帰省した時に弟さんを柱のそばに立たせては背丈(せたけ)を測(はか)っていたといいます。海野さんの実家は静岡(しずおか)県、窓から富士山(ふじさん)がみえたそうです。